1/700日本海軍 航空母艦 赤城のプラモデル


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1/700日本海軍 航空母艦 赤城のプラモデル


1/700日本海軍 航空母艦 赤城のプラモデル

赤城は再び第1航空艦隊第1航空戦隊に配属となり折から激しくなった日中戦争支援のため中国方面に展開しています。そして昭和16年(1941年)になると日米間の雲行きが怪しくなり戦争へと急速に傾いてゆきます。この頃赤城は一航艦、通称南雲艦隊の旗艦となり真珠湾攻撃の準備に没頭するようになります。同年11月択捉島単冠湾に密かに集結した南雲艦隊は26日に抜錨、北方航路をたどって真珠湾北方へ忍び寄ります。この間日米開戦を意味する「ニイタカヤマノボレ」の暗号電を受け、昭和16年(1941年)12月8日(現地時間7日)ハワイ、真珠湾を奇襲、在泊艦艇、特に戦艦群を多数撃沈破して大戦果をあげています。攻撃隊の総指揮官は赤城の飛行隊長淵田中佐でした。凱旋した一航艦は年が明けると直ちにトラック島へ進出、ラバウル、カビエン、ポートダーウィンなどを次々と空襲、さらに向かう所敵無しの状態でインド洋に入り、イギリスの要衝セイロン島コロンボ、ツリンコマリを襲い在泊艦艇に損害を与えています。この時英重巡ドーセットシャー、コーンウォール、さらに軽空母ハーミズを撃沈するという殊勲をあげていますが、艦爆隊の放った250Kg爆弾の実に80%以上が命中という驚異の命中率(演習ではなく実戦で)を記録しています。この頃の1航戦(赤城、加賀)、2航戦(蒼龍、飛龍)の搭乗員の技量は間違いなく世界一であったと思われます。インド洋作戦終了直後の昭和17年(1942年)4月18日、かねてから存在の気になっていた米空母部隊があろうことかB-25をもって日本本土に空襲をかけてきたのです。このため米空母を誘い出し一気に壊滅させるための作戦としてミッドウェー作戦が発動されました。インド洋からもどった南雲艦隊は整備、補給もそこそこにミッドウェーへと出撃してゆきます。

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